北米ギター放浪記 番外編#2「帰国」 2008年7月31日〜8月1日 朝5時にモーニングコールを寝過ごしたようで、ドアをノックし続ける音で起きたのは6時半過ぎでした。6時50分にはP氏のお父さんが迎えに来ることになっているので、シャワーどころか顔を洗う時間もありません。机の上やフロアに出してあったものをすべてバッグに詰めてからロビーまで行くと、ちょうどお父さんが到着したところでした。1泊35ユーロと聞いていたので70ユーロとペットボトルの水1本分を払おうとすると、全部で60ユーロでいいとのこと。女将さんが計らってくれたようです。女将さんはまだ来ていなかったので、くれぐれもよろしくお伝えくださいとお願いしてから車に乗り込みました。 ピサ空港までの私の分の切符はすでに買ってあるとのこと。私はピサで空港行きのに乗り換え、P氏のお姉さんはピサよりさらに先にある駅で乗り換えてビーチに行くそうです。駅でお父さんにお別れし、ホームの端にある機械で日付をスタンプしてから電車に乗り込みました。日本で言う在来線ですが、お世辞にも奇麗とは言えず、車内外いたるところ落書きだらけで、車両自体もかなり年代物でした。2人でボックス席に座って話をしていたら凄い勢いで窓を叩く音が。前日のライブにも来ていた彼女の彼氏のA氏です。出勤前に見送りに来たようです。電車が走り出すとまさに全力疾走でホームの端までダッシュしていました。その後すぐに彼女の携帯が鳴り、道中のほぼ半分ぐらいの時間は話していました。トンネルに入っても車内灯が着かず、その間はまさに漆黒の闇でしたが、これが正常なのか故障なのかは彼女も分からないとのこと。 ピサ駅で彼女と別れ、15分ぐらいの待ち時間をおいて空港行きの電車に乗り換え、5分程で空港駅に到着しました。駅前が空港なのでアクセスはいいのですが、世界的に有名な観光地とは思えないほど小さく、人でごった返していました。駅と同じくゲートがかなりぎりぎりまで表示されないのでボードの前で待つことに。飛行機は30分ほど遅れたのですが、ゲートに来るようにとのアナウンスがあるだけで、並んでいた人の中にはかなりの剣幕でまくしたてている人もいました。 搭乗後すぐに寝落ちし、目が覚めたらロンドンのガトウィック空港まで20分ぐらいだとのアナウンスがありました。朝から何も食べていなかったので、かなりお腹が空いていましたが、まずはヒースロー空港まで行ってからということで、高速バスの切符を買う列に並びました。支払いはポンドのみとのことで、前に並んでいたポンドの手持ちがなかった何組かは売ってもらえなくてもめていました。 ヒースロー空港に着いたものの、所持金が5ポンドしかなかったのでレストランに入ることはできません。スタンドでサンドイッチとコーヒーを買って表で食べました。空港内はスペースはかなりあるのですが、座る所がないのです。ここでのチェックインでは、ギターを機内に持ち込むように指示されたので、言われるがままにしました。私としても一番安心できるパターンです。 こうして9時間近く掛けてプラハに戻ったわけですが、空港にはM氏が来ていました。私がフィレンツェからの飛行機に乗って来ると思っていたらしく、指定した時刻にその便がないので焦っていたとのこと。フィレンツェから来たことには間違いはないが、最後の飛行機はロンドンからのものでした。先に予約しておいたホテルに行くと、確認が出来ていないので部屋は押さえていないとのこと。確認のために何度電話やメールをしても応答しなかったと伝え、間違ってクレジットカードから引き落としされないことを確認してから車でM氏宅まで向かいました。結果的に彼が来てくれたのは助かりました。 翌朝はM氏に空港まで送ってもらい、その後の乗り継ぎも乗り継ぎもスムーズに行き、ほぼ時刻通りに関空に到着しました。最後にギターケースのヘッド部分が剥がれるように割けるという事故がありましたが、ギターそのものへのダメージはありませんでした。表に出てまず空港内にあるDocomoショップに行き、3日しか使えなかったいきさつを説明し、ショップにある充電器を接続したところ、無事充電が始まりました。電話そのものへのダメージはなかったようで一安心です。 【後日談】 最後のプラハ空港のホテルは口頭で確認したにも関わらず、翌月送られて来たクレジットカードの明細ではしっかり引き落とされていました。Skypeで電話したところ「泊まったことになっている」と言い張るので、「私は旅行記を執筆しているライターなので、このことも書く」と咄嗟にでまかせを言ったところ、すぐに上司らしき人に代わって謝り始め、無事返金されることとなりました。 *文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。 |
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はじめに
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