北米ギター放浪記

番外編#2「チェシャム」

2008年7月23日

朝方、イギリスで初めてのシャワーを浴び、H氏と一緒にバスでリバプール駅まで向かいました。ローカルな乗り物に乗るとその土地の日常を肌で感じることができます。最初は携帯が使えないこともあり、どうなるかと思いましたが、終わってみればとても有意義な時間を過ごさせてもらいました。お世話になったH氏にお礼を言ってから来たときと同じ列車でロンドンのユーストン駅に向かいました。

1時過ぎにユーストン駅に着き、初日に泊まったフラットに寄って預けていた荷物を受け取ってから土門氏とチェシャム行きの電車が出るメリルボーン駅に向かいました。ロンドンでの用事を済ませてから駈け付けてくれるという土門氏との車内の会話の中で、ビッグベンやロンドン橋などの名所を一切見ていないという話題になりました。この日はチェシャムの民宿で泊まり、翌日はロンドン経由でケルンまで行くので観光をする時間はありません。乗換駅(名前は忘れた)で表に出ればビッグベンの天辺ぐらいは見えるというので、せめてもということで駅を出て歩道橋を昇り木々の間に見える写真でよく見る建物の天辺を拝ませてもらいました。土門氏とはここでいったんお別れです。

電車の発車時刻まで30分程あったので、チェシャムのK氏に電話をしようと公衆電話を見つけたのですが、掛け方が分かりません。日本ではとりあえず10円入れれば掛けれるのだが、そのとりあえずの金額が分からないのです。すると、通り掛かった駅の清掃員が「どうした?」と近寄ってきたので、事情を話すと「持ってる小銭を見せろ」とのこと。一瞬、警戒心が頭を過りましたが、ここは信じるしかありません。小銭を目で数えて「これじゃ足りない」と言って自分のポケットから何枚かの小銭を出して渡してくれた。警戒したことを申し訳なく思いつつ、お礼を言ってからK氏に電話して乗る予定の電車を知らせました。K氏とはメールでのやり取りだったので、実際に声を聞いたのはこの時が初めてでした。電話を終えて見渡すとさっきの清掃員が少し離れた所で別の職員と立ち話をしていたので、お礼をして無事電話が通じたことを伝えました。彼の胸ポケットにタバコが見えたので、せめてものお礼の気持ちということで半分ぐらい残っていた日本製Kentを渡したら喜んで受け取ってくれました。

発車時間が近くなったのでプラットホームを確認すると、改札の先に並んでいるのものではなく、その一番端をホームのさらに先にあるホームとのことで、荷物を抱えつつ最後は小走りになりましたが何とか間に合いました。電車は日本で言う快速のように、全部の駅には停まらないが特急券などは要らないというタイプのものでした。K氏が迎えに来てくれるというアマーシャムという駅を車内の路線図を見たらそこはZone 9のエリアでした。切符はZone 6までのしか買っていなかったの、日本の感覚では降りてから清算すれば済む話なのですが路線図の横には「乗越しは罰金」という警告が張ってありかなりな額です。土門氏が「そこまで中心から離れれば無人駅の可能性もある」と言っていたので、そうであってくれと祈りながらの移動となりました。

アマーシャムは期待に反して小さいながらも有人でちゃんと改札機のある駅でした。人の流れが途切れるまで待ってから改札機の向こう側にいた駅員さんに、Zone 6までの切符しか持っていないことを伝えると「なぜだ?」と聞くので「知り合いからそう聞いた」と答えると、私の方を少しきつめの眼差しで見てから「次からは駅員に聞け」と言って通してくれました。

Amersham station

表に出ると目の前に車が停まり助手席側の窓を開けて私の名前を呼ぶ人が。K氏です。この日の宿となる民宿までの10分ほどの車中ではギター談話に花が咲きました。7月初めにナッシュビルで開催されたCAASには体調不良で行けなかったと聞いていたので少し心配していたのですが、元気そうなので一安心です。

宿は普通の一軒家で、二階の3部屋が客室になっていました。私以外にも一人客がいるとのことで、部屋を出るときは鍵を締めるように忠告され、荷物だけ預けてそのまま会場に向かうか、それとも少しゆっくりするかと聞かれたので、荷物を抱えての移動で結構汗をかいたのでシャワーを浴びさせてもらうことにしました。K氏は一時間後に迎えに来てくれるとのこと。シャワーを出てベッドに腰掛けて窓から表を眺めていたら微睡みだしたので目覚ましをセットして15分ほど横になりました。

そろそろK氏が来ると思われる時間にギターと荷物を持って表に出ました。長い坂の両側に民家が並ぶ閑静な住宅街で、宿は坂が登り切る少し手前にありました。ほどなくしてK氏が到着し、2人で会場に向かうことに。会場はチェシャムのダウンタウンから少し外れたところにあり、K氏の仲間数人が机を動かしたり椅子を並べたりしていました。皆そこそこ年配の方達だったので一通り挨拶を済ませてから私も手伝いました。椅子は50席近くあり、こんな閑静な場所でそんなに来てくれるのか不安になりましたが、ここ数日で問い合わせが何件かあり、ほぼ埋まるだろうとのこと。有り難いことです。ステージにあったスツールに腰掛けようとすると、K氏が「トミーやミュリエルなんかも座った席だ」と教えてくれた。いつもより心して腰掛けたのは言うまでもありません。マイクで拾った音をAERのアンプから出すという簡単な構成なのでサウンドチェックは5分ほどで終わり、そのままウォームアップがてらその晩の演目に入っていない曲を思い付くままに適当に弾いていると、「Ragpickin'」で1人が本を持って近付いてきました。その曲が載っているリチャード・サスロウ氏の教則本でした(私も日本語版を持っていた)。ギタークラブというだけあって、こういうマニアックな本があっても不思議ではないのですが、その人の嬉しそうな顔を見ていたら私も嬉しくなりました。

on stage

ほどなくして窓の外に中をうかがう土門氏の顔が見えたので、練習をやめて表に出て、そのまま2人でチェシャムの街に繰り出しました。とはいっても午後6時過ぎたダウンタウンは閑散としており、歩いている人もほとんどいません。水を確保しておきたかったのでスーパーに入って大きめのペットボトルを購入してから会場に戻ると、先ほどより人が増えていて、K氏が行った通りほぼ満席になるぐらいの数にはなっていました。不思議なもので、私は人が多ければ多いほど落ち着いて演奏できるのです。ちょっと自信のない曲でも堂々とチャレンジでき、「もし間違えたら」などという不安が頭を過ることもなくなります。

ライブ前にチューニングをしながら見渡すと、その時点ではまだ立っていたスタッフ用の席が一部空いている以外は満席で、壁側にも補助席風に席が並んでいました。そこで記念にステージ側から写真を撮らさせて貰いました。その後、K氏の挨拶があり、途中休憩を挟んで約2時間とても気持ちよく演奏させて貰いました。心配していたMCも少し喋り過ぎたぐらいだったかもしれません。

audience

終演後は、来て頂いた方達と談笑時間となりました。お客さんがすべて帰ったあと、スタッフと一緒に椅子やテーブルを片付け、その後、K氏に宿まで送って頂きました。いつの日かまた再会することを誓って別れてから部屋に入り、ベッドに横たわって天井を見つめながらしばし余韻に浸りましたが、余りのんびりしているわけにはいきません。翌日は朝6時過ぎには迎えのタクシーが来ることになっていて(K氏が手配してくれた)、ドイツのケルンに3時前に着くには、乗り換えミスも許されないタイトなスケジュールになっていたのです。目覚ましを5時前にセットしてベッドに入りました。

MrK

*文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。

「リバプール」Supporter's Area「ドイツへ」

目 次

はじめに
出国まで
シアトル
カリフォルニアへ
休息日
サニーベール
LAへ
レドンドビーチ
ツーソンへ
アルバカーキ
コロラドへ (奇跡の旅の始まり)
バーザウド
デンバー
オクラホマシティーへ
オクラホマシティー 2 days
テキサスへ
サンアントニオ
ジョージタウン
ダラス
ヒューストン 2 days
ベントン
ナッシュビル (CAAS)
ロスウェル
タンパ 2 days
マイアミ
オーランド 2 days
マートルビーチ
チャペルヒル 3 days
キングスポート
インディアナへ
インディアナ州フィンガースタイルコンテスト
スタテンアイランドへ
マンハッタン
フィリップスバーグ
ナザレス(マーチン工場)
マサチューセッツへ(奇跡の完結)
メシュエン
モントリオールへ
バッファローへ
メドヴィル前乗り
メドヴィル幽霊ホテル
デトロイト
シカゴ
ミネアポリス
番外編
番外編#2「2008年欧州ツアー/出発まで」
チェコ1
チェコ2
ロンドン
リバプール
チェシャム
ドイツへ
レムゴ
インゴルシュタッド
ブレゲンズ
イタリアへ
フィレンツェ
最後のライブ
帰国