北米ギター放浪記 番外編#2「チェコ1」 2008年7月17日〜18日 7月17日:私はそれほど頻繁に国際線を使用するわけではなく、買うのはいつもエコノミークラスです。過去に先方の手違いからファーストクラスまたはビジネスクラスになったことが二度ありましたが、二度ある事は三度あるということか、関空からヘルシンキまでのフライトでまたビジネスに振り替えられることとなりました。何でも団体さんがエコノミーを占領したとのこと。おかげでとてもリッチな空の旅となり、快適すぎて食事もパスして寝ていました。 フィンランドといえば、日本でも馴染みのあるムーミンやサンタクロースの故郷です。今回は経由地として寄っただけでしたが、次にもし機会があれば北欧も巡ってみたいものです。乗り継ぎ便まで2時間ほどあったので表に出てみると、半袖ではブルッとくるぐらいの涼しさでした。その12時間ほど前にいた灼熱の関空がすでに懐かしく感じました。 チェコには三年前に一度来ているので、空港内の移動は何となく記憶にあり、スムーズに荷物が出て来るところまで来ましたが、私のギターとバッグが出てこないままベルトコンベアは停止してしまいました。もうないということです。迎えに来てくれているI氏を心配させてはいけないので、とりあえず一度表に出ました。I氏に荷物の件を伝えるとインフォメーションカウンタで問い合わせてくれ、翌日には来るだろうから送り先を書くようにと指示され、粗品のようなものを渡されました。その後、I氏と彼女のお父さんの三人で空港を出ようとした際にチェコ語で私を呼ぶアナウンスがありました(私にはそこに自分の名前が含まれていることすら聞き取れませんでしたが)。二人に促されるままに先程のインフォメーションまで戻ると、中に入れとのこと。日本の感覚では一度出たら戻れないはずなのですが、すんなり入れてくれて無事ギターとバッグを手にすることができました。その晩は、I氏宅の庭でBBQとなり、私も早速1時間半ほど演奏しました。 7月18日:時差ボケからか朝の5時過ぎに目が覚めてメールチェックをしたり日記を書いていると、7時頃にお母さんが多少はだけ気味のバスローブ姿で入ってきました。この家では朝の出勤前にプールで一泳ぎするのが日課になっているとのことで、私にも入れと勧めてきました。水着を持ってきていないことを理由にやんわりお断りすると、誰もいないから水着は要らないとのこと。お母さんのはだけたバスローブの下には明らかに何も着けていなかったので、そんなことだろうとは思ったのですが、断る理由もなくなってしまったのでお言葉に甘えさせて行くことに。水は氷のように冷たく、誰もいないのは分かっていても水着なしで泳ぐのはどこか落ち着きません。10分程で出てプールの横にある建物の中でシャワーを浴びましたが、お湯が本当に有り難かったです。 昼はI氏がほうれん草のお好み焼きみたいなものと、ニョッキのクリームチーズ和えを作ってくれたました。2005年のチェコ訪問時はほとんどが外食で、食事はいまいちの印象がありましたが、前夜のBBQといい初めてチェコで美味しい物を食べたような気がします。この日は、プラハから車で北に二時間ほど行ったホーニーポリツェという町に住むM氏宅で一泊させてもらうことになっていました。M氏は7〜8年に日本で知り合った友人です。車中、I氏が作ったランチが美味しかったという話をしたら、その夜はもっと美味しいチーズフライをご馳走するとのこと。 M氏の家の前には広い原っぱがあり、木から落ちたリンゴを投げて遊んでいる子供達の声が聞こえてきました。外に出てその子供達に家とは逆の方向に向かって投げるように指示していましたが、子供達の視線は明らかに風貌の違う私の方に向いていました。少ししたら近所で自動車修理の仕事をしているという若者が犬を連れて来て、三人でビールやワインを飲みながら話し始めました。この彼、喋りたいという意思は十分伝わって来るのですが英語がほとんど通じませんでした。その後、日本で知り合ったS氏も来て、美味しいチーズフライを頂き、私はギターを弾き始めました。M氏とは長い付き合いですが、まともに私の演奏を聴いたことがなかったせいか、日本語で「ヒロシ ジョウズダネェ〜」と何度も繰り返し、「男はつらいよ」のテーマを弾き出すと、「ソレ シッテル ダイスキダヨ」とか言って妙な日本語で歌い出しました。 陽が落ちると一気に冷え込み、M氏が暖炉に火をいれました。まだ少し残っている時差ボケと暖炉の火による温かさが相まり睡魔と戦いながらの演奏となりました。ただ、こういう状況が功を奏したのか、途中、左右の腕のバランスが完璧になる瞬間が何度かありました。体全体から余計な力が抜けた状態です。この感覚を忘れないようにすれば演奏はより安定するはずです。イギリスでの最初のライブを二日後に控えたこの時点でこのような状態を経験できたのは幸いでした。 *文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。 |
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はじめに
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