北米ギター放浪記

インディアナへ

2014年7月24日〜25日

当初は、次に決まっていたニューヨーク州スタテンアイランドまでの4日間は特に予定もなかったので、ホワイトハウスでも見に行こうかぐらいに考えていました。その後の予定はある程度決まっていたので、戻ってくる余裕はありません。また来いということでしょう。1980〜1982年のボストン滞在時は、とにかく常にジリ貧で、休みなどで寮を追い出された時にグレイハウンドバスかアムトラックでニューヨークの友人宅に行くのが精一杯だったのです。唯一覚えている贅沢と言えば、S&Gのセントラルパークコンサートを見に行ったことぐらいです。コンサート自体は無料でしたが、ニューヨークとボストンの往復は当時の私には十分贅沢でした。

この日のルートは、テネシー州から出発してすぐにバージニア州に入り、再びテネシー州をかすめてからケンタッキー州に入るというものでした。そういえば、バークリー時代に仲が良かった口ドラムが上手なW氏がよく自慢していた故郷がこのケンタッキーでした。当時の私の唯一のオリジナル曲だった「Cascade」を練習室でやっていた時に泳ぐような仕草で踊っていたことや、ボストンに来たレゲエバンドで雇われドラマーをやってヘロヘロになっていた顔は今でもよく覚えています。話は少し逸れますが、私の作る曲は決して踊り向きではなく、私もそのようなリアクションは想定していません。しかし、その後一回だけですが踊られたことがあります。新宿の外国人ストリップバーで知り合いが働いていた時期があり、新宿で最終を逃したときはその店の裏で始発まで待たせてもらっていたのですが、ある日、店が暇だったのか客席の方に来いというので言われるがまま着いて行くと、そこは個室でした。要はプライベートダンスです。すると、DJが気をきかしたのか私の「A Big Cloud Is Coming」を掛けたのです。何が何だか分からないまま踊り子さんを呆然と見ていると、見事に踊っているではないですか。ケンタッキーのW氏と同じように体全体を使って。凄く綺麗な女性が私の曲に合わせて目の前でストリップをしているのです。曲が終わってその娘に「今の曲、私のなんですよ」と言っても、私が持って来たCDに入っていた曲だと思ったようで、ただ「踊りやすかった」との返事。それ以上は私も何も言いませんでしたが、漂うような曲でも踊れる人は踊れるということです。

目的地まで残り半分ぐらいのレキシントンという町のモーテルで一泊したとFacebookには投稿していますが、今となっては記憶が定かではありません。夕方前にインディアナ州ナッシュビルに到着し、コンテストの前夜祭が行われるパブの位置を確認してからすぐ近くの宿に行くと、予算をはるかに越える宿泊料でした。仮に三等の$100をゲットできたとしても宿代だけで赤字になってしまいます。そこで、安モーテル検索アプリを使ってそこから車で20分ほどのところにあった宿を予約し、部屋に演奏に必要なもの以外の荷物を運んでから再び前夜祭が行われるパブに向かいました。

店内はコンテスト参加者とその同伴者達でほぼ満席状態でした。この日の仕切りをしていた方に私も参加者であることを伝えると、コンテストの審査委員長という方が座っているテーブルに連れて行かれました。この委員長、前年(つまり初代)チャンピオンとのこと。握手をして挨拶すると「どこかで会ったね」とのこと。多分YouTubeで見たのでしょう。どうも、このコンテストは前年の優勝者が翌年の審査委員長をするという仕組みになっているようです。来年もここまで来るのは無理かなと思いながら促されるままに一人分だけ空いていたテーブルに相席させてもらいました。挨拶をして会話をしていると別のテーブルの誰かが「エドガー・クルーズも来る」と言い出し、参加者らしき人達の顔が一様に曇りました。クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」をギター1本で弾く彼は強敵だからです。テネシー州ナッシュビルのCAASで前年もこの年も顔は合わせていて(挨拶する程度ですが)、この年は彼のステージも見ました。確かに強敵ですが、逆に彼を強敵と思う人が多いということは私にもチャンスありだななと思ったのでした。

少し遅れてエドガーも到着し、参加者による演奏が始まりました。私はPAとの相性が悪かったのか低音が唸ってしまい、音量を絞った状態でしか演奏できませんでしたが、内心は「本番は明日」と虎視眈々と三等に照準を絞ったのでした。ところで、お店の従業員に一人明らかに日本を含む東アジア系の方がいたのですが、私の出番が終わってテーブルに戻るとやってきて「ヒロシさん素晴らしかったですよ」と流暢な日本語で話し掛けてきました。それもそのはず、何と大阪は高槻出身の方でした。この場所に日本人が来るのは大変珍しいと言っていました。私を見つけたエドガーとも初めて挨拶以上の会話をし、一緒に自撮りもしたのでした。名前は到底覚えられない数の人たちと出会い、これだけでもコンテストに参加して良かったと思ったぐらいです。

帰りのモーテルまでのドライブは、真っ暗なうえに曲がりくねった道だったので結構緊張しました。西海岸とはこの辺もまったく違います。

*文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。

「キングスポート」Supporter's Area「インディアナ州フィンガースタイルコンテスト」

目 次

はじめに
出国まで
シアトル
カリフォルニアへ
休息日
サニーベール
LAへ
レドンドビーチ
ツーソンへ
アルバカーキ
コロラドへ (奇跡の旅の始まり)
バーザウド
デンバー
オクラホマシティーへ
オクラホマシティー 2 days
テキサスへ
サンアントニオ
ジョージタウン
ダラス
ヒューストン 2 days
ベントン
ナッシュビル (CAAS)
ロスウェル
タンパ 2 days
マイアミ
オーランド 2 days
マートルビーチ
チャペルヒル 3 days
キングスポート
インディアナへ
インディアナ州フィンガースタイルコンテスト
スタテンアイランドへ
マンハッタン
フィリップスバーグ
ナザレス(マーチン工場)
マサチューセッツへ(奇跡の完結)
メシュエン
モントリオールへ
バッファローへ
メドヴィル前乗り
メドヴィル幽霊ホテル
デトロイト
シカゴ
ミネアポリス
番外編
番外編#2「2008年欧州ツアー/出発まで」
チェコ1
チェコ2
ロンドン
リバプール
チェシャム
ドイツへ
レムゴ
インゴルシュタッド
ブレゲンズ
イタリアへ
フィレンツェ
最後のライブ
帰国