北米ギター放浪記

ミネアポリス

2014年8月11日

Roadmap to Min

シカゴの少し北からの出発だったせいか、通勤とは逆方向に向かうことになり、途中ウィスコンシン州でフロリダ以来の土砂降りに見舞われましたが、ナビで7時間弱の行程をほぼノンストップで走り抜きました。これが最後という思いが、少しでも長く運転していたいという気持ちに繋がったのでしょう。

明るいうちにミネアポリスのダウンタウンを通過し、街中を少し走って無事ダコタ・デーブ・ハル氏宅前に到着しました。日本でも何度か共演しているダコタ氏ですが、大抵は小樽在住のラグタイムギタリスト浜田隆史氏との3人組だったので、合間に少し話すことはあっても、じっくり話すのは今回が初めてかもしれません。唯一二人で行動したのは、浜田氏が北海道に帰ってしまった後に一緒に築地の寿司屋に行った時ぐらいです。

Minneapolis

部屋を入ると数本のギターが目に入りました。いかにもギタリストの家です。ダコタ氏と彼女のシェリル氏の3人と話していると、ほどなくしてダコタ氏の友人のギタリストであるフィル・ヘイウッド氏、それにグローリア氏などが訪れ、誰が始めるでもなくダコタ氏、フィル氏、そして私の3人によるセッションが始まったのでした。後で知ったのですが、このフィル氏、以前ウィンフィールドのコンテストで優勝したこともある人です。道理で上手いはずです。ダコタ氏のギターは、その大柄な体格から来る先入観もあるのでしょうが、まるでバスドラのような気持ちのいいグルーブを出していました。普段はセッションをする機会もほとんどなく、たまにジョイントしてもセッションはあくまでも余興的なものでしかありませんが、順番にリードを回すジャズスタイルのものではなく、この日のようにまるで3人で喋っているかのようなセッションであれば毎日でもやりたいぐらいです。

sesseion with Phil and Dave

ダコタ氏といえばコーヒーです。アメリカ人は日本人がお茶を飲むようにコーヒーを飲むわけですが、コーヒーに凝っている人というのはさほど多くありません。質より量の人が圧倒的多数なのです。ところが、このダコタ氏、たまたま浜田氏ごひいきの安ホテルのすぐ横にあるカフェバッハがただの喫茶店ではないことを嗅ぎ取り、多い時は1日に2回通うぐらいのコーヒー狂で、安ホテルの宿泊代で浮いた分はほぼここで消えていると思って間違いないでしょう。ダコタ邸のキッチンの一面はほぼコーヒー器具で埋まっていて、当然、私も御馳走になりました。普段は砂糖もミルクも全部入れるのですが、こういう方の前でそれをするとおもむろに嫌な顔をされるのは目に見えていたので、ここは黙ってブラックで頂くことにしました。

Dave and Cheryl

ダコタ氏、シェリル氏、私

phil & gloria

フィル氏、グローリア氏、私


6月15日にシアトルから始まった北米ギター放浪の旅も約2ヶ月かけて最終地のミネアポリスに到着したことで無事終了しました。このまま真っ直ぐ西に向かえばシアトルにいずれ帰れるわけですが、日程に余裕があるので、ここからはこれまでに訪れた場所でお誘いがあった街を再訪しながら9月初旬のシアトル帰還を目指すこととなりました。

ざっと数えただけでも31泊以上初めて訪れた家でお世話になり、車中泊は仮眠も含めれば十数泊におよびます。どこででも寝るという、中高およびボストンでの寮生活で培ったものが役立った形です。

特に後半は行き当たりばったりに近い状態だったので、ここまでトラブルや金欠に見舞われることなくこれたのはまさに奇跡としか思えません。各地でお世話になった方々には本当に感謝しております。まったく異なる縁で訪れた別々の場所で会った人達が実の親子だったり、高速の休憩所で日本でも名の通ったイタリア人フィンガースタイルギタリストと出会うなど、奇跡的な偶然も何度か起こりました。

渡米時と比べると自分でも分かるレベルで体重が減りました。一方で、全身にあった凝りもはほとんど消えていました。体重に関しては、18000キロ近くに及ぶ運転によるやつれかもしれませんが、不思議と疲労感はありませんでした。凝りに関しては、確かなことは言えませんが、恐らく、日本では自然と力の入った生活をしているのでしょう。

肝心のギターですが、後半からは成長しているのを実感できるようになりました。技術的な部分での進化は微々たるものですが、表現力は渡米前とは違うレベルに達したと思います。

日本では「地味」というレッテルを貼られがちなソロギターですが、ギターを弾くということに体格や腕力の優劣は関係なく、歌を歌わないことで言語に拘る必要もなく、最強のユニバーサル楽器だと私は常々思っていました。ピアノもソロで成り立つ楽器ですが、機動性という意味ではギターの足元にも及びません。つまり、この旅は私の中で信じていたことを実証する旅でもあったのです。

今回お会いした方々の平均年齢は恐らく60歳を超えているでしょう。私自身も還暦を目前に控えているので「いつかまた」ではなく、できるだけ早い段階でもう1度彼らに会いに行きたいと思います。

2nd half route

*文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。

「シカゴ」Supporter's Area「番外編」

目 次

はじめに
出国まで
シアトル
カリフォルニアへ
休息日
サニーベール
LAへ
レドンドビーチ
ツーソンへ
アルバカーキ
コロラドへ (奇跡の旅の始まり)
バーザウド
デンバー
オクラホマシティーへ
オクラホマシティー 2 days
テキサスへ
サンアントニオ
ジョージタウン
ダラス
ヒューストン 2 days
ベントン
ナッシュビル (CAAS)
ロスウェル
タンパ 2 days
マイアミ
オーランド 2 days
マートルビーチ
チャペルヒル 3 days
キングスポート
インディアナへ
インディアナ州フィンガースタイルコンテスト
スタテンアイランドへ
マンハッタン
フィリップスバーグ
ナザレス(マーチン工場)
マサチューセッツへ(奇跡の完結)
メシュエン
モントリオールへ
バッファローへ
メドヴィル前乗り
メドヴィル幽霊ホテル
デトロイト
シカゴ
ミネアポリス
番外編
番外編#2「2008年欧州ツアー/出発まで」
チェコ1
チェコ2
ロンドン
リバプール
チェシャム
ドイツへ
レムゴ
インゴルシュタッド
ブレゲンズ
イタリアへ
フィレンツェ
最後のライブ
帰国