北米ギター放浪記 コロラドへ(奇跡の旅の始まり) 2014年6月24日 ご両親とお姉さんが帰られた後は、広い家の中にD氏と二人きりだったわけですが、彼はそういうシチュエーションに慣れていないのでしょう。どこか、緊張している様子でした。無理もありません。いきなり極東の小国からYouTubeで見ていた初老の男が来ているわけですから。お見送りというわけではないのでしょうが、朝にご両親がまた来てくれて、別れを惜しみながらアルバカーキを後にしたのでした。途中、サンタフェという地名を見て宮沢りえさんもここに来たのかなとか、ロスアラモスではここがアラモの砦があった場所なのかなどと思いを巡らせながらひたすら北上しました。 この日の最終目的地は、デンバーから少し北に行ったコロラド州バーザウドという町でした。この町で私を呼んでくれたチャック・ガットゥーソ氏は、私が来るのをとても楽しみにされているのがやり取りしたメッセージからも分かりました。彼の家でハウスコンサートを25日、つまり翌日に行うことになっていたので、この日は移動日ということになります。ナビで7時間半の道程だったので、11時間ぐらいを想定していましたが、案の定、デンバー手前のコロラドスプリングで日が暮れ始め、疲労がピークの時に日没時を運転する気力もなかったので、チャックには明日の午前中には着くと連絡を入れてコロラドスプリングのモーテルで一泊することにしました。洗濯をしたかったのもあります。 さて、ここまでずっとお読み頂いた奇特な方であれば、この旅が単なる観光目的ではないことはお分かり頂けたかと思います。冒頭の「はじめに」でも触れましたが、観光名所はことごとくスルーし、お土産らしきものも何も買っていません。また、シアトルを除けば会う人のほとんどは私のことをYouTubeで見て知っているのですが、私にとっては初対面の方ばかりで、中には私が喋るだけで驚かれる方もいました(YouTubeでは一言も喋っていないので)。先日のツーソン手前で寄った際に会ったG氏の隣人のお姉さんのように、日本人と話すのは初めてと教えてくれる人もいましたが、多くは、実際には初めてだったのではと思います。 また、帰国後にまず聞かれたことが「いくら掛かった」とお金のことでした。現にこうやって話しているのだから「足りたということです」と答えるしかないのです。観光ビザで行っている手前、現地でチャージを取るわけにはいかず、ライブやハウスコンサートはすべてノーチャージで行いました。当然、ガソリンやモーテル代など、元々僅かだった軍資金だけでは賄えないことも分かっていました。ただ、それを事前に計算してしまうと、行くことそのものを躊躇したかもしれません。ここに少し無茶があったことは私も認めます。しかも、ここまでレディング、ツーソンと空振りし、予定通りにこなせたのがサニーベールとLA、それにアルバカーキと、単純に見れば3勝2敗です。今後もこのペースで行けば、間違いなく途中ですっからかんになります。そんな焦りが少しずつ出始めた中で、この章に「奇跡の旅の始まり」というサブタイトルを付けたのにはわけがあるのです。もちろん、私自身もこの時点では不安だらけで、今後起こる様々なことを知る由もありませんでした。 ちなみに、この晩もギターを録音しながらいつの間にか寝落ちし、ベッドメーク要らずの客だったのでした。 *文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。 |
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はじめに
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