北米ギター放浪記

マサチューセッツへ(奇跡の完結)

2014年7月31日〜8月1日

盛り沢山だったフィリップスバーグでの余韻に浸りながら、まずはニューヨーク方面を目指しました。この道は、インディアナからニューヨークに移動した時に一度通った道です。走り出してすぐに前方で車が一様に何かを避けるようにしていて、その場所に近付くと、撥ねられたばかりの鹿が高速の真ん中で横たわっていました。こちらでは日常的にこのような光景があるようです。この時、不謹慎にもあるYouTubeビデオが頭を過りました。ラジオ局に電話して来た女性が「鹿注意(Deer Crossing)」のサインをもっと車の通りが少ない場所に移動するべきと訴えているもので、DJが笑いをこらえながらあれはドライバーに注意を促すものだと説明しても、その女性は完全に鹿目線で、あのサインがあるから鹿が高速道路を渡ろうとすると譲りませんでした。当然、コメント欄は女性のことをバカにする言葉で埋まっていましたが、私はこの女性の純粋さに惹かれました。後日、この女性が自分の勘違いに気付いて再度同じDJとやり取りする動画もアップされていました。この辺はアメリカの懐の深さを感じさせます。

ニューヨークまであと少しというところで眠気が襲って来たので、マンハッタンを遠くに臨む大型のレストエリアで仮眠を取ることにしました。

それまでの仮眠はせいぜい3時間ぐらいだったのが、疲労が蓄積していたのでしょう。目が覚めたらすでに日が昇っていて7時少し前でした。6時間ぐらいは寝た計算です。朝の通勤ラッシュ前にはマンハッタンから離れていたかったのですが、こうなったら覚悟するしかありません。ショップでコーヒーを買い(このレストエリアには何軒かのショップもあった)、一息ついてから北を目指したのでした。しかし、慣れない道で混雑しているとなると行きたい方向にすら行けなかったりするものです。気付くとマンハッタン島北部に上陸していました。とにかく、少しでも早くその場から遠ざかりたい一心で車を走らせ、何とかコネチカット州まで来ました。ニューヨークでは車内が騒々しいほど路面の凹凸が激しかったのですが、州をまたいだ途端、まるで別世界のように静かになりました。

アメリカ国内だけに限れば、次のマサチューセッツ州メシュエンが第4コーナーとなるわけで、どことなく寂しさが漂い始めていました。この時点でその後に決まっていたのは、ペンシルバニア州メドヴィル、とミシガン州デトロイトだけで、日程的にはかなり空き日の目立つ状態でした。ただ、これから新たな予定を組むことにはあまり乗り気ではない自分がいました。ソロギター弾きに国境はないということは、ここまでの旅ですでに十分証明されたからです。とりあえずインディアナのコンテスト以来張りっ放しだった弦をレストエリアで交換しながら漠然と今後の日程を考えたのでした。この作業、何度やっても慣れません。

この日の当面の課題は洗濯でした。遅くても翌日にはしないと着るものがなくなる状況だったのです。昼過ぎに少しルートから外れたエリアでモーテルを見つけ、フロントでコインランドリーが使えるかを尋ねると「多分ね、確認したければ自分で行って見てきて」との返事。言われるがままに地下のランドリー室に行くと、特に張り紙もなく、近くを通りかかった清掃のオバちゃんに聞いても「壊れているとは聞いていない」とのこと。それではとチェックインしようとしたら、部屋の清掃がまだ済んでいないので1時間待ってとのこと。通常より早めの時間だったのでこれは仕方ありません。そこで、車内でラザニアを食べながら待つことに。

その後チェックインを済ませて部屋に入ってFacebookを見ると、イボンヌの投稿にまずやられました。私のことを神が使わせた天使にたとえているのです。悲しみのどん底にいた自分をまさか地球の裏側の「日本」という島国から来たギター弾きが励まし、笑わせてくれるとは夢にも思わなかったと書かれていました。灰皿を挟んだたわいない会話は、彼女にとっては私が思っていた以上に励みになったようです。これだけでも来た甲斐があったというものです。感動しながら溜まった洗濯物を抱えてランドリー室に行きました。ところがコインを入れて押し込んでもウンともスンとも言いません。コンセントもちゃんと差し込まれています。フロントに行って状況を説明すると「じゃあ、壊れてんでしょ」と機械に入れた金額を返金してくれました。アメリカのこういうところは頂けません。さっきまでの感動が帳消しにされてしまいました。とは言っても動かないものは動かないのです。

諦めて部屋に戻りメールをチェックすると、ジンク氏からメッセージが来ていました。私がコロラドで彼の伯父に会っているというのです。最初は何のことかさっぱりでしたが、記憶をたどると、私がギターにサインをしたウェイン氏に確か日本の血が入っていたことを思い出しました。まったく異なるルートから行った別々の地で会った人達が親戚同士だったとは奇跡以外の何ものでもありません。すぐにフィリップスバーグでの出来事をバーザウドでお世話になったチャックに伝えると、ほどなく返事が来て、私が会ったエツコお婆ちゃん、ウェイン氏の実の母親だとのこと。もう何が来ても驚きません。コインランドリーが使えないことなどどうでもよくなりました。

さらに嬉しいことに、日本で何度か共演しているダコタ・デーブ・ハル氏から、ミネソタ州のミネアポリスに来るのなら宿は心配するなとのメッセージが来ました。この時点でこの旅の終点がミネアポリスに決定したのでした。

*文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。

「ナザレス(マーチン工場)」Supporter's Area「メシュエン」

目 次

はじめに
出国まで
シアトル
カリフォルニアへ
休息日
サニーベール
LAへ
レドンドビーチ
ツーソンへ
アルバカーキ
コロラドへ (奇跡の旅の始まり)
バーザウド
デンバー
オクラホマシティーへ
オクラホマシティー 2 days
テキサスへ
サンアントニオ
ジョージタウン
ダラス
ヒューストン 2 days
ベントン
ナッシュビル (CAAS)
ロスウェル
タンパ 2 days
マイアミ
オーランド 2 days
マートルビーチ
チャペルヒル 3 days
キングスポート
インディアナへ
インディアナ州フィンガースタイルコンテスト
スタテンアイランドへ
マンハッタン
フィリップスバーグ
ナザレス(マーチン工場)
マサチューセッツへ(奇跡の完結)
メシュエン
モントリオールへ
バッファローへ
メドヴィル前乗り
メドヴィル幽霊ホテル
デトロイト
シカゴ
ミネアポリス
番外編
番外編#2「2008年欧州ツアー/出発まで」
チェコ1
チェコ2
ロンドン
リバプール
チェシャム
ドイツへ
レムゴ
インゴルシュタッド
ブレゲンズ
イタリアへ
フィレンツェ
最後のライブ
帰国