北米ギター放浪記

サンアントニオ

2014年6月30日〜7月1日

約束の時間の少し前にスタバを出て、予め確認していた住所まで行くと、まず、敷地内に入るゲートでセキュリティチェックがあります。そこを抜けてしばらく行くと、この日お世話になるラミロ氏の屋敷がありました。もうすべてが映画のセットのような環境です。ラミロ氏は数年前に退職し、このサンアントニオで隠居の身とのこと。

ラミロ氏とエイミー夫妻、それに娘さんとフィアンセの計4名の観客を前に、広々としたリビングで小一時間ほど演奏しました。それまでは、到着後すぐでも演奏にはそれほど影響は出なかったのですが、翻訳が入ったことがストレスになっていたのか最初は中々調子が上がりませんでした。私が来るのを楽しみにされていたので、この一期一会的な時間を無駄にしないよう、頭から翻訳のことをふるい落として徐々にペースを掴んでいったのでした

ハウスコンサートということで、曲間の会話はくつろいだ中でジョークを交えながらのものとなり、後半は会話の合間に弾くようなペースになっていたかもしれません。演奏終了後に娘さん達を見送り、少し談笑した後に就寝となったのですが、ここから私は翻訳家と化したのでした。それまでは、ギターを抱えたまま寝落ちしていましたが、この日はMacBook Proに顔を埋める覚悟でした。

翌朝、家の前のロータリーに停めた車の近くで一服していると、庭の木陰で何かの気配がするので、じっとその方向を眺めていると、鹿が歩いていました。日本で言えば市街地にある一戸建ての団地みたいなものなのでしょうが、その庭を鹿が歩いていたらニュースになります。

家に戻るとラミロ氏が一枚の紙を見せてくれました。なんと、私のこの旅の行程をすべて書き出し(その時点で公表していた分)、各地点間の距離や所要時間まで書いてありました。どちらかというと行き当たりばったりだったので、このように書き出されると改めてこの旅の無謀さを思い知らされるのでした。コピーさせてもらう筈だったのですが、知らぬが仏という気持ちがどこかにあったのでしょう。コピーするということすら忘れたことに気付いたのはサンアントニオを後にしてしばらくしてからでした。ただ、ラミロ氏の温かい気持ちには十分伝わり、私の胸も熱くなったのでした。

この日は、オースティンの少し北にあるジョージタウンという所に夕方までに着く予定になっていて、ナビによれば2時間は掛からないとのこと。ラミロ氏が昼食をご馳走してくれるというので、荷物を車に積んでラミロ氏の車の後を付いて行くと(今回は巻かれませんでした)、着いた場所は和食風レストランでした。奇しくも二日続けてランチは和食風となったのでした。鶏の唐揚げを注文する際に辛子があるかを尋ねたら「マスタード?」と怪訝な顔をされ、「ジャパニーズマスタード」と言い直したところ「わさび?」との返事だったので笑顔で「忘れてください」と私。以降、この辛子が本物の和食屋か和食風なのかを見分ける判断材料となったのでした。一宿一飯どころか朝食も含めれば三飯も御馳走になったお礼をしながら熱いハグをし、いつものようにそれぞれの車に振り向くことなく向かったのでした。

*文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。

「テキサスへ」Supporter's Area「ジョージタウン」

目 次

はじめに
出国まで
シアトル
カリフォルニアへ
休息日
サニーベール
LAへ
レドンドビーチ
ツーソンへ
アルバカーキ
コロラドへ (奇跡の旅の始まり)
バーザウド
デンバー
オクラホマシティーへ
オクラホマシティー 2 days
テキサスへ
サンアントニオ
ジョージタウン
ダラス
ヒューストン 2 days
ベントン
ナッシュビル (CAAS)
ロスウェル
タンパ 2 days
マイアミ
オーランド 2 days
マートルビーチ
チャペルヒル 3 days
キングスポート
インディアナへ
インディアナ州フィンガースタイルコンテスト
スタテンアイランドへ
マンハッタン
フィリップスバーグ
ナザレス(マーチン工場)
マサチューセッツへ(奇跡の完結)
メシュエン
モントリオールへ
バッファローへ
メドヴィル前乗り
メドヴィル幽霊ホテル
デトロイト
シカゴ
ミネアポリス
番外編
番外編#2「2008年欧州ツアー/出発まで」
チェコ1
チェコ2
ロンドン
リバプール
チェシャム
ドイツへ
レムゴ
インゴルシュタッド
ブレゲンズ
イタリアへ
フィレンツェ
最後のライブ
帰国