北米ギター放浪記

モントリオールへ

2014年8月3日〜4日

メシュエンを出発してニューハンプシャー州、そしてバーモント州を抜ければカナダとの国境です。道中は至って快適でしたが、陽が落ちると気温も下がり、レストエリアでの車中泊では寒さで目が覚めてしまい、ガソリンスタンドがある所まで走ってコーヒーで暖を取ったぐらいです。日本が猛暑に見舞われているというニュースを見るのが申し訳なく思えました。

翌日、レストエリアでトイレ休憩をしていると、トラックドライバーのL氏が「日本人か?」と話し掛けてきました。「そうです」と答えると、「何で韓国車に乗っているんだ?」と聞いてきました。L氏は仕事で乗るトラック以外は日本車しか乗らないそうで、日本人の私が韓国車に乗っているのが不思議だったようです。アクセントに癖があったので「どこから来たの?」と尋ねると「ケベック州から」とのこと。モントリオールで英語が通じるかとの質問には、都会は大丈夫とのことでした。

今まではせいぜい「鹿注意」でしたが、北に行くにつれ「ヘラジカ(Moose)」や「熊(Bear)」などへの注意を促すサインも目にするようになりました。見てみたいけど遭遇はしたくないという、オクラホマの竜巻、タンパのワニの時と同じような心境でした。

国境手前のあるレストエリアで、原っぱの上にカラフルな椅子が置いてありました。実際に使用するものなのか、オブジェとして飾っているのかは分かりませんでしたが、私にはお洒落なアートに映りました。

国境は、簡単なやり取りとパスポート及び帰りの航空券を証明する書類を提示するだけで通り抜けられました。標識はそれまでの英語からフランス語に変わり、速度制限表示もマイルからキロに変わりました。元々異国に来て入るのですが、さらに異国に来た感じです。

ナビの指示通りに(こちらは英語のまま)何とかオープンマイクをやっている店にたどり着いてサインアップしたのですが、店員さんの感じが今ひとつよくありません。始まるまで6時間あったので、近場にどこか安モーテルがないか聞いても「この辺にはない」とつれない返事しかしてくれません。始まる前のアウェイ感は、オーランドキングスポートでも体験していましたが、それらとはちょっと違う見下した感じです。そこで、iPhoneに入れていたアプリで探そうと電源を入れると圏外になっています。ナビは店に着くまで機能していたのに、店の外に出ても圏外のままです。この時点で、使用していたプリペイドのiPhoneが合衆国内だけで利用できるものだということに気付きました。正直言うと少しパニック状態でした。それまでナビを頼りに移動していただけに、ナビが使えないということは、糸の切れた凧のようなものです。後で聞いた話では、ナビそのものは衛星から情報が来るので、一旦繋がればたとえiPhoneが圏外になっても接続が維持されるのですが、iPhoneがネットに繋がって初めて衛星とも繋がるそうです。

この時点で、モントリオールでは演奏が済んだらすぐにトロント経由でニューヨーク州に戻ることを決めて、取りあえずオープンマイクが始まるまでの時間を潰すことに。幸い、スタバの店先ではWi-Fiが拝借できたので、どこか日本人がやっている夜食屋はないかと検索すると、数年前に書かれたと思われる日本人経営の和食屋の情報が乗っているブログが見つかり、4〜5軒あるとのこと。それぞれの住所を地図で調べて、まずは一番近くにあるという店の住所に行くと、それらしきものは見当たりません。徐々に遠くへと足を延ばしていきましたが、結局、唯一見つかった店もその日は定休日でした。モントリオールは私を歓迎していないようです。仕方なく、元の場所まで戻り、近くで見掛けた日本人がやっていたらまずこんな店名にはしないだろうという店に入ったところ、香港人がやっているお店でした。ただ、御飯は普通の白米でそれなりに和食風だったので、腹を満たすという目的は果たせました。

食後にオープンマイクの店の斜め向かいにあったビルの階段に座って指馴らしをしていると、一人の若者が話し掛けて来て「煙草をくれ」と言うので、むしゃくしゃしていた私は即座に「No」と返事しました。そのまま立ち去るかと思いきや、今度は私の弾いている曲にケチをつけてきました。「何か文句あるの?」と少し苛つきながら聞くと、少し及び腰になり「そういうわけじゃないけど」と言い訳を始めました。そんなに悪い奴じゃなさそうです。どうせ時間は持て余していたので、内容は忘れましたが少しだけ話をしました。最後に名前を聞いて来たので冗談で「ヒロシマ」と答えたら、本気で怯んでいました。

そうこうしているうちにオープンマイクが始まり、何組か演奏して私の順番となりました。何も喋らずに3曲演奏し、その後すぐに店を出ようとすると、ステージを仕切っていた人が追いかけて来て「今週末にイベントがあるんだけど出ないか?」とのお誘い。丁重にお断りし、逆に「トロントに行くにはどう行けばいい?」と聞き返しました。恐らく皆さん日常的にナビを使っているのでしょう。「あっちの方だ」と方角を指差すだけです。そんなわけで「あっち」の方に向かってモントリオールを後にしたのでした。

思えば、何のつてもなく知り合いもいない土地で、しかもそこがモントリオールのような大都会であれば、このようなことになるのは当然なのかもしれません。今までが恵まれ過ぎていたのです。次は、地元の人と繋がってから来ることにします(後にこの繋がりは実現することになります)。

*文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。

「メシュエン」Supporter's Area「バッファローへ」

目 次

はじめに
出国まで
シアトル
カリフォルニアへ
休息日
サニーベール
LAへ
レドンドビーチ
ツーソンへ
アルバカーキ
コロラドへ (奇跡の旅の始まり)
バーザウド
デンバー
オクラホマシティーへ
オクラホマシティー 2 days
テキサスへ
サンアントニオ
ジョージタウン
ダラス
ヒューストン 2 days
ベントン
ナッシュビル (CAAS)
ロスウェル
タンパ 2 days
マイアミ
オーランド 2 days
マートルビーチ
チャペルヒル 3 days
キングスポート
インディアナへ
インディアナ州フィンガースタイルコンテスト
スタテンアイランドへ
マンハッタン
フィリップスバーグ
ナザレス(マーチン工場)
マサチューセッツへ(奇跡の完結)
メシュエン
モントリオールへ
バッファローへ
メドヴィル前乗り
メドヴィル幽霊ホテル
デトロイト
シカゴ
ミネアポリス
番外編
番外編#2「2008年欧州ツアー/出発まで」
チェコ1
チェコ2
ロンドン
リバプール
チェシャム
ドイツへ
レムゴ
インゴルシュタッド
ブレゲンズ
イタリアへ
フィレンツェ
最後のライブ
帰国