北米ギター放浪記 番外編#2「チェコ2」 2008年7月19日〜20日 7月19日:前の晩は相当眠くて寒かったのでしょう。フリースを着たまま寝ていました。朝食後に近所に住む若いカップルが訪ねて来たので挨拶がてらギターを弾きました。彼女の方は携帯をこちらに向けて写真を撮っていました。日本でもよく見る光景です。 10時過ぎにM氏の家を出て、2005年にホーニーポリツェに来た際にお邪魔し、二時間近くドラムとセッションした家に行きました。その時は熱を出して居間のソファで横になっていたお母さんも元気そうで、私のことは覚えていてくれました。そのお礼(お詫び)も兼ねて何曲か弾きました。次に、M氏の友人でコンピュータに強いという人の家に行ってまた何曲か弾いたのですが、彼の住んでいる家の周辺はちょっとアートしている建物が多い不思議な空間でした。その後、前の晩に会った自動車修理工が家を建てようとしているという土地を見に行きました。見渡す限り草原が続くのどかな場所でした。 プラハに向かう前にスーパーに寄るとのことで、ショッピングモールのような所に入ったのですが、すぐにパトカーに停められました。どうやら出口から入ったようです。M氏が警官とやり取りしている間、私はとりあえずスーパーに入ってみたのですが、店内にいた方達の視線が気になり、何も買わずに出てきました。私が唯一のアジア人だったうえに、連れが警官と揉めているわけですから怪しさ倍増だったのでしょう。 この日は土曜日だからかプラハ方面に向かう道は比較的空いていて、前日よりははるかに快適なドライブとなりました。夕方前にはI氏の家に到着しM氏も一緒に夕食を頂きました。当然のように私はここでもまたBGM担当となり、前の晩つかんだ両手のバランスを意識しながら演奏したのでした。 7月20日:この日は、2005年のチェコ訪問時に見損ねたプラハ城とカレル橋に行くことになりました。最寄りの駅までI氏のお父さんに車で送ってもらい、そこから地下鉄で市内へと向かいました。I氏が地下鉄の路線図でざっとプラハの概要を教えてくれましたが、チェコ語の駅名は読みと発音がなかなか一致しません。各駅ごとに色が決まっているそうで、どの駅も派手な装飾はありませんがどこかアートしていました。市内で地下鉄からトラムと呼ばれる路面電車に乗ってプラハ城を目指しました。朝のうちは雲りがちでしたが、トラムを降りた頃には快晴になっていて気温も高く、I氏によればこの夏一番の暑さかもしれないとのこと。日本の夏から比べればはるかに過ごしやすいのですが、観光地でしかも日曜ということで人が多かったのもあり、気温以上に暑さを感じました。 橋を渡り切ったあたりで昼過ぎになっていたので、I氏に連れられるままお洒落な店に入りカツのようなソーセージのようなのを頼みましたが、もの凄い量だったので半分以上残してしまいました。味はなかなかでしたが脂っこかったのでそれ以上詰め込むと胸焼けしたでしょう。店を出てから彼女が通う大学に寄って中を見せてもらい、その後、彼女がたまに行くというカフェに行きました。人通りの少ない路地の階段を上がったところにあり、観光客であればまず来れないような店で、広い店内は歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気でした。 帰りは来た時と同じルートをたどり、地下鉄を降りてからはバスで家の近くまで戻りました。よく歩いたからか少し疲れたので夕食まで横にならせてもらいました。この日は夜遅くに私が使っていた部屋の持ち主であるI氏の弟がロンドンから帰って来るとのことで、夕食前に荷物を一階の居間の方に運んでいたら、予定よりも早くその彼が帰ってきました。友人二人と車で来たとのこと。かなり眠そうで夕食もパスしそうな状態でしたが、お母さんがぜひ弟にもギターを聴かせて欲しいというので、夕食の支度をしている横で演奏を始めました。その後も一時間ほどいてロンドンの気候や事情などを色々と教えて貰いました。この日がI氏の家では最後になる。いきなり押し掛けてしまったのにも関わらず本当に暖かく面倒を見てくれたことに対する感謝の意も込めて精一杯演奏しました。お父さんからリクエストされたエルトン・ジョンの「ダニエル」は宿題ということとなりました(この時点ではまだレパートリーになっていなかった)。この日は途中からお父さんの12弦ギターも加わり、宴は深夜過ぎまで続きました。翌日はいよいよ初めてのロンドンです。 *文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。 |
目 次 |
はじめに
|