北米ギター放浪記

番外編#2「ドイツへ」

2008年7月24日

routemap

この日は陸路でのドイツ入りです。チェシャムの民宿ではネットは使えなかったので、携帯が使えない現状では、日本でやり取りしていたときに伝えた列車で絶対にケルンに着かなければなりません。2回の乗り換えは(ロンドンとブリュッセル)それぞれ少しは余裕があるものの、どこかで乗り遅れれば一巻の終わりです。

Amersham station2

5時に目覚ましの音で起き、シャワーを浴びてから6時に荷物を持って階下に降りました。民宿のオーナーはまだ就寝中でした。前の晩に言われたように鍵を玄関の棚に置き、一礼をしてから表に出ました。のどかな朝です。日本ほど時間に正確ではないと聞いていたのですが、ほぼ時間通りにタクシーが到着し、10分ほどで駅に着きました。今度はちゃんとロンドン市内までの切符を購入して改札をくぐると、ホームには通勤客が結構な数いました。荷物を持って乗るのは気が引けますが、ここは遠慮している場合ではありません。幸い、まだ時間も早かったので、混雑もそれほどではなく、荷物が迷惑になるようなレベルではありませんでした。メリルボーン駅に定刻通り着き、そこからユーロスターが出るセント・パンクラス駅にタクシーで向かいました。地下鉄でも行けないことはないのですが、通勤ラッシュに掛かる時間帯なので、タクシーで行った方が良いというK氏のアドバイスがあったのです。運転手はかなり無愛想で、支払い時にコインの計算ができずにまごついていると、私の手の平からごそっとコインを掴み取り、苛ついた感じで「ほら釣りだ」と何枚か投げ返してきた時は少しムッとしましたが、こんな所でもめている場合ではありません。

Marylebone station

セント・パンクラス駅はかなり大きな駅でした。まずは、ブリュッセルまでのユーロスターの切符を買うために日本で言うみどりの窓口っぽい場所に行きました。そこはまるでホテルのフロントのような落ち着いた空間でした。予定していた時刻に出るユーロスターの切符が欲しいと伝えると、基本は自由席で、日本で言うグリーンであれば座席指定できるとのこと。チェシャムでのライブの成功を祝して、ここは奮発することにしました。万一でも立ったままブリュッセルまで行くのだけは避けたかったのもあります。

Eurostar

列車は、日本で昔あった食堂車的な作りで、テーブルを囲む席もあれば、一人掛けで前にテーブルがある席もありました。私の席はテーブルを挟んで二人掛けの席が向かい合っているボックス席のような作りでした。隣も向かいも客はいません。テーブルの足にはコンセントがあったので、アダプタを接続してMacBookを起動したところ、Wi-Fiの電波をキャッチしました。すかさずメールをチェックし、ネットをブラウズし始めたのですが、発車すると同時に電波が徐々に弱くなり、そのうち切れてしまいました。駅構内だけで使えるサービスだったようです。ただ、この日の午後3時にドイツのケルンで会うことになっているB氏から「ケルンに着いたらピンクの矢印を目印に歩け」というメールが入っていたので、乗り継ぎさえちゃんとすればこの人に会えるということが分かり一安心です。写真ではちょっといかつい顔をしたおじさんなので、この人がピンクの矢印を通路に書いたり置いたりしている姿を想像すると自然と笑みがこぼれました。

車窓から車内に目を移すと、通路を挟んで反対側の一人掛けの席に座っているジャン・レノ風の人がしきりにトイレの方をうかがっていて、目が合うと、タバコを吸う仕草をしました。乗務員の隙を見計らってトイレで一服しようとしているようです。少し話をすると、オランダで会社を経営していて、イギリスまで出張してきた帰りとのこと。ブリュッセルから北東に向かえばオランダなので、感覚的には東京から広島に出張したようなものなのでしょう。日本の新幹線には喫煙車両があることを教えたら、それはぜひ日本に行かなくてはと言っていました。イギリスでは至る所に罰金に関する警告が張ってあるせいか、はたまたお国柄か、禁煙エリアでタバコを吸っている人は見事にいませんでしたが、この方の雰囲気からして、他の国は必ずしもそうではないみたいです。

結局そのジャン・レノ風のオランダ人と話しているうちにブリュッセルに着きました。彼はその間タバコをずっと手に持ったままでした。ブリュッセルでの乗り継ぎは1時間ぐらいの余裕があったので、まずケルン行きの列車のチケットを押さえるために窓口に行きました。ここからはユーロレールパスが使える区域です。窓口でパスを見せてケルンまで行きたいと伝えると、あらかじめ調べておいたのと同じ列車に乗れるようにパスに何かを書き込んでくれました。プラットホームの番号を確認してから駅を出てすぐ横にあったベンチにとりあえず腰掛けました。すると、何やら水が流れる音がするので、見渡すと、何とそのベンチの反対側の端に座っている人が失禁していました。とんだ歓迎です。たかが一時間の滞在でその街を語ることなどはできませんが、少なくとも私の初ブリュッセルはとても現実的なものでした。

Brussels

発車時間の10分前ぐらいに確認していたプラットホームに停まっている列車に乗り込み、一応乗務員さんらしき人にその列車がケルンまで行くことを確認しました。年齢制限で安いパスが買えなかったのですが、私のパスはどうもFirst Class用のものだったらしく、案内されたのは、まるでホテルのロビーのようにポツンポツンと一人掛けのゆったりした席がある車両でした。先程のユーロスターよりはるかに豪勢です。予定通りの列車に乗れたという安心感からか、景色を眺めているうちにウトウトしだし、目が覚めたらすでにドイツに入っていました。成田で購入したThomas Cookの時刻表を開き、駅を通り過ぎるたびに虫眼鏡で豆粒のような文字を追いながら確認するのですが、ドイツ語は一つの単語に異常なほど多くの文字が含まれているので見ただけではイメージとしてとらえることができず、なかなか苦労しました。しかも、日本のように前後の駅が書かれているわけではなく、駅名そのものも気を付けていないと見逃すぐらい地味に掲示されています。

To Koln

無事約束の時間にケルンに到着し、とりあえず近くにあった階段を下ってみました。しかし、ピンクの矢印などはどこにも見当たりません。階段を下まで降りて見回すと、唯一Burger Kingはここだよという矢印がピンク系でしたが、これではBurger Kingに入ってしまいます。一応店内を覗いてみましたが、見覚えのある方はいませんでした。とりあえず外から確認しようと表に出たところ、そこにあった光景があまりにも唐突で、日本の常識ではあり得ないものでした。あの有名な大聖堂がまさに駅の真ん前にあるのです。むしろ、駅が大聖堂前の広場にあると言った方がいいぐらいです。たとえば、鎌倉の鶴岡八幡宮の境内に駅があるような感覚です。真っ青な空をバックにそびえ立つその建物の壮大さにしばし見とれてしまいました。我に返って駅の方に目を向けると、大聖堂により近いところに私が出たのよりはるかに大きな出入り口が見えました。日本の駅で言えば、私が出てきたのは南口みたいなもので、中央口ではなかったようです。B氏は私が中央口から来ると思い込んでいたのでしょう。中央口を外から入ると、こちらに背を向けてしきりに駅構内方向を見回している彼の姿が見えました。ここまで来れば一安心です。そっと近付き、背中をツンツンと指で突きました。びっくりして振り返った顔が不安な表情から笑顔へと一気に変わりました。お互い写真でしか見たことがないわけで(私の場合はYouTubeでの動画だが)、その日のその時間帯にギターを抱えたアジア系は私だけだろうという探し方をしていたら、偶然にももう一人いたとのこと。列車が着いてしばらく経っても出てこないので心配していたようです。外で大聖堂の写真を撮ったり一服していたことは内緒にして、別の階段で降りてしまい迷子になっていたことにしました。

Koln Cathedral

一緒に来ていたB氏のギターの先生であるH氏と3人で駅を出て駅前広場にあるオープンカフェでコーヒーを飲みながらまずは挨拶です。YouTube内でメッセージをやり取りしたりSkypeで何度か話はしていましたが、実際に会うのは初めてなので、お互い少し照れ気味でした。こういうところは少し日本人に近いように感じました。イギリスでのライブが大盛況だった話などをしているうちに徐々に打ち解けていき、最初は無口だったH氏も少しずつ喋り出しました。とりあえずは、目の前にそびえ立つ大聖堂を見学しておこうとということになり、近くの駐車場に停めてあるB氏の車に荷物を置いてから大聖堂の中に入りました。中に入ると正真正銘の大聖堂で、奥の方にはロープで区切られたエリアがあり、そこでは皆ベンチに座って熱心に十字を切っていました。B氏とH氏は時折「これは・・・」と説明してくれるのですが、写真を撮るのに忙しそうでした。ケルンに来るのは2人とも10年振り以上とのこと。彼等が住むレムゴという街はハノーバーの方が近かったので、そこまで列車で行くという私の提案をかたくなに拒んで待ち合わせ場所をケルンにしたのが何となく理解できました。

inside Koln Cathedral

一通り大聖堂を見学してからレムゴへ向けて出発しました。B氏の話ではケルンからは約2時間とのことでしたが、それはスピード制限のないアウトバーンをずっと時速200kmで飛ばしてのことだったらしく、結局4時間半の長いドライブとなりました。しかし、皆飛ばします。時折工事区間で車線が少なくなるところでは渋滞になるのですが、そこを抜け出すとすぐに時速200kmまで加速し出すのです。ベンツの加速がいいのはこういうニーズがあるからなのだと納得しました。時速200kmで走っている我々の横をさっと抜いて行く車があるのには驚きました。抜き去るトラックの多くもベンツでした。

Autobahn

長いドライブの末、アウトバーンを出ていよいよレムゴの街に入りました。中世の建物とモダンな建物が混在する清潔感いっぱいの街です。B氏の家、つまりレムゴ滞在中に私がお世話になる家は、街から少し丘を登ったところにありました。家に着くと、奥さんが玄関先で出迎えてくれました。1階すべてを私のために用意していてくれて、広い居間の真ん中にベッドが置いてありました。食事などは3階でしているので、居間はほとんど使っていないとのこと。ここで2泊することになっているのですが、テーブルの上には私用ということで、2リットル(もっと大きいかも)のペットボトルが5〜6本並んでいました。荷物を置いてから3階に上がってみると、そこは私が使わせてもらっている居間の1/3ほどの広さの屋根裏部屋でした。中央にB氏自慢のLakewoodのギターが立てかけてあり、その横の譜面台には私がアレンジした「The Boxer」の譜面がありました。H氏が採譜したとのこと。この時点では私自身まだ譜面にしていない曲だったので、はるか地球の裏側でこういう形になっているのは不思議な感覚です。Skypeでのやり取りで韓国の少年S氏が弾いている「愛こそすべて」について、私が後発で公開したビデオの一部に間違いがあると指摘していたので、それが元々は私が演奏したものをS氏がコピーして弾いているので、編曲という意味でのオリジナルは私であり、違っているのはS氏だということをLakewoodで弾きながら説明しました。どこか腑に落ちない顔をしていましたが、要は最初に聴いたものが正しいと思い込んでしまうのでしょう(視聴回数も彼の方が何十倍も多い)。私はS氏のも別に間違いだとは思っておらず、単に採譜した際に解釈が違ったのだと受け止めていたので、張り合うつもりはありませんが、一応経緯だけは伝えておかなくてはいけません。

夕食は、さらに丘を登った先にあるレストランで取るとのことで、支度をして表で待つように言われました。外から見るとかなり大きい家です。2階のバルコニーにはドイツの国旗が掲げられていました。私はケルンから乗って来たベンツに乗るように促され、奥さんはその横に停まっていたミニクーパーに乗り込みました。走り出すと、あの車は昔から奥さんにせがまれていたもので、去年の誕生日にプレゼントしたとのこと。ただ、車内が狭すぎるので自分では乗らないそうです。確かに大柄なB氏にはミニクーパーはちょっと窮屈かもしれません。また、数日前にサイドブレーキを掛け忘れたために車が坂道を勝手に下って木にぶつかって破損し、今乗っているのはその代車で、レストランに向かう前に壊れた車を預けている場所に寄りたいとのこと。ついでにレムゴの街もざっと見せてくれました。中を走ってもとても奇麗な街です。

Dinner

レストランは、建物の中だけでなく庭にもテーブルが並んでいて、私が着いた時点では中はほとんど空席でしたが、表は半分ぐらい埋まっていました。すでに8時を過ぎていましたが、まだ陽が出ていて夕方のような雰囲気でした。H氏と奥さんも来ていました。長旅の疲れと、ドイツ人に囲まれている状況に最初は少し緊張していたが、カクテルを飲みながら話しているうちにいつしか和んでいきました。食後はH氏の家に行き、バルコニーでギターを弾きながら色々と話をしました。10時過ぎにはあたりも真っ暗になり、気温もぐっと下がってきました。連日熱帯夜が続いていた日本から見ればまるで避暑地みたいなものですが、ブルっとくるレベルの寒さは夏が終わったようなどこか寂しい気持ちになります。12時頃にこの集いもお開きになり、B氏と家に戻り、私は居間へ、彼は2階へと上がって行った。こうして初めてのドイツでの1日が終わりました。ドイツの方とこんなに話すのは初めてでしたが、少し物怖じするところなどは日本人に近い気質があるように思えました。

*文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。

「チェシャム」Supporter's Area「レムゴ」

目 次

はじめに
出国まで
シアトル
カリフォルニアへ
休息日
サニーベール
LAへ
レドンドビーチ
ツーソンへ
アルバカーキ
コロラドへ (奇跡の旅の始まり)
バーザウド
デンバー
オクラホマシティーへ
オクラホマシティー 2 days
テキサスへ
サンアントニオ
ジョージタウン
ダラス
ヒューストン 2 days
ベントン
ナッシュビル (CAAS)
ロスウェル
タンパ 2 days
マイアミ
オーランド 2 days
マートルビーチ
チャペルヒル 3 days
キングスポート
インディアナへ
インディアナ州フィンガースタイルコンテスト
スタテンアイランドへ
マンハッタン
フィリップスバーグ
ナザレス(マーチン工場)
マサチューセッツへ(奇跡の完結)
メシュエン
モントリオールへ
バッファローへ
メドヴィル前乗り
メドヴィル幽霊ホテル
デトロイト
シカゴ
ミネアポリス
番外編
番外編#2「2008年欧州ツアー/出発まで」
チェコ1
チェコ2
ロンドン
リバプール
チェシャム
ドイツへ
レムゴ
インゴルシュタッド
ブレゲンズ
イタリアへ
フィレンツェ
最後のライブ
帰国