北米ギター放浪記

ナッシュビル(CAAS)

2014年7月8日〜14日

アーカンソー州ベントンを6日の朝に出たことは覚えているのですが、8日にナッシュビルに到着するまでの記憶は断片的なものとなっています。当時のFacebookの書き込みによればメンフィスの手前で一泊、ナッシュビルの手前200キロで一泊したようです。覚えているのは、メンフィスの和食風レストランで辛子を頼んだら「ない」と言われたことと、ダンキンドーナツがあったことぐらいです。6月15日にシアトルを出て既に8,000キロ以上運転しているわけで、体力がほぼ限界に来ていたのでしょう。モーテルとはいえナッシュビルで連泊できるのはまさに神の恵みです。ただ、不思議なことに身体中にあった凝りは見事に消えていました。

この一ヶ月は、ちょうどサッカーのワールドカップとも重なったので、モーテルで泊まるときは必ず見ていました。日本といえば謙虚、アメリカといえば驕りというイメージがあっただけに、予選突破は間違いなしと高を括っていた日本が惨敗し、予選突破は難しいという論調で一貫していたアメリカが決勝トーナメントまで進んだのには少し混乱しました。時代が変わったのでしょうか。

CAASでは、特に演奏予定もなかったので、まずはジョン・ノウルズ氏に挨拶をしておこうとマスタークラスの部屋の前まで行って休憩に入るのを待っていると、用足しにでも行っていたのか廊下をこちらに向かってくるジョンと一年振りに再会しました。今年はマスタークラスに申し込んでいないので、挨拶に来たことを伝えて帰ろうとすると「中に入れ」とのこと。昨年見た顔も何人かいて相変わらず和やかな雰囲気でした。私はジョンの優しいタッチが大好きなのです。至近距離で完全生音の彼の演奏を聴けるこのクラスは本当に贅沢です。前年はアール・クルー氏も挨拶に立寄りました。ただし、今年に限っては私はこの場所にいる資格がないので部屋の一番後ろで恐縮していると、ジョンが「明日はヒロシがアメリカン・パイを弾いてくれる」と発表しました。不意をつかれた私は「分かりました」と返事しましたが、2009年秋に出した「Will You Dance?」CDに収録して以降はほとんど弾いていない曲です。チェットと言えばドン・マクリーンがゴッホを歌った「Vincent」のアレンジが有名で、私がドン・マクリーンの代表作である「American Pie」を弾くのを知っていたからだと思いますが(前年にCDを渡していた)、かなりの無茶振りです。

*この動画は、この8月にコロラドで弾いた時のものです。

会期中、演奏予定がある人は会場であるシェラトンに泊めてもらえるのですが、私は車で20分ほどの安モーテルを押さえてあったので、顔見知りとの挨拶もそぞろにモーテルに直行し、チェックイン後すぐに練習を始めたのでした。幸運の神様はいるもので、連泊するこのタイミングで先方の手違いからスイートルームに泊まることになりました。料金は変わらずです。

翌日の本番では、まさに一夜漬けでしたが頭よりも指の方が覚えていてくれたので、ゆっくり始まりインテンポになり再びゆっくりになるという構成を楽しみながら演奏できました。あとは演奏できるとすればオープンマイクぐらいなので、連日サインアップだけは欠かしませんでした。ただ、前年の記憶と混同していて何を弾いたのかとか、何回弾けたのかは覚えていません。唯一下の動画から「Folk Song」を弾いたことは確認できました。

前年と大きく違ったのは、テラスで談笑しながら弾いていた時に知り合ったオハイオギタークラブのP氏が押さえていた部屋で二日間それぞれ一時間ずつ弾かせてもらったことでした。「When I'm Sixty-Four」のトレモロや、「Will You Dance?」の後半で中間部が半音ずつ下がる箇所で歓声が聞こえるアレンジャー冥利に尽きるステージでした。調子に乗って「A Day In The Life」も弾いたようです(Facebookによれば)。P氏いわく「ギャロッピングだらけの中でシンプルにギターを弾くスタイルが気に入った」そうです。私のスタイルが厳密にチェット特有のテクニックを踏襲していないことは承知していましたが、対極的に扱われるのには正直びっくりでした。これでも私なりにチェットの精神を受け継いでいるつもりなのです。

もう一つ印象的だったのは、後半戦の前半に訪れる予定だったフロリダがキューバ系の人が多いとのことで「Guantanamera」をテラスでアレンジしていると、背後のベンチで煙草を吸っていたシェラトンの職員と思われるラテン系のおばさんが合わせて歌い出したことでしょうか。合格点をもらったようなものです。

この頃YouTubeの登録者数が切りのいい数字に近付いていたので、毎日チェックしていたのですが、会の最終日でいきなり100名以上の明らかに日本の方と思われる登録がありました。どこかでプチブレークしたのかと思っていたら、知り合いがこのブログのことを教えてくれました。

http://blog.livedoor.jp/zzcj/archives/51868861.html

有り難いことです。ただし、下の方にスクロールして行くと、徐々に私の表情は曇っていきました。YouTubeのコメント欄でも稀にバッシング系の投稿がありますが、ほとんどは人種差別的なものでした。会ったこともない同胞から上から目線で言われることに無性に腹が立ち、画面を見ながら「月夜の晩ばかりだと思うなよ」などと叫んでいたのでした。こういう時は本人が書き込むのが一番なので、少し間を置いて頭を冷やしてからブログの主宛にお礼のコメントをしました。この「出る杭は打つ」的な流れが最近目に余る状況になっていると感じるのは私だけでしょうか。

7月8日から一週間のナッシュビル滞在で体力気力ともに回復し、14日の朝にモーテルをチェックアウトして後半戦最初の地となるジョージア州ロスウェルを目指したのでした。

*文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。

「ベントン」Supporter's Area「ロスウェル」

目 次

はじめに
出国まで
シアトル
カリフォルニアへ
休息日
サニーベール
LAへ
レドンドビーチ
ツーソンへ
アルバカーキ
コロラドへ (奇跡の旅の始まり)
バーザウド
デンバー
オクラホマシティーへ
オクラホマシティー 2 days
テキサスへ
サンアントニオ
ジョージタウン
ダラス
ヒューストン 2 days
ベントン
ナッシュビル (CAAS)
ロスウェル
タンパ 2 days
マイアミ
オーランド 2 days
マートルビーチ
チャペルヒル 3 days
キングスポート
インディアナへ
インディアナ州フィンガースタイルコンテスト
スタテンアイランドへ
マンハッタン
フィリップスバーグ
ナザレス(マーチン工場)
マサチューセッツへ(奇跡の完結)
メシュエン
モントリオールへ
バッファローへ
メドヴィル前乗り
メドヴィル幽霊ホテル
デトロイト
シカゴ
ミネアポリス
番外編
番外編#2「2008年欧州ツアー/出発まで」
チェコ1
チェコ2
ロンドン
リバプール
チェシャム
ドイツへ
レムゴ
インゴルシュタッド
ブレゲンズ
イタリアへ
フィレンツェ
最後のライブ
帰国