北米ギター放浪記 出国まで 2014年3月上旬〜6月11日 2014年3月の上旬に、古くからの友人U氏がHDを認識しなくなったMacBookを持って尋ねてきました。これまでにも何度か同じようなことでレスキューをしていたのですが、その彼女が突然「お金はないけど助けてもらってばかりで申し訳ないからお返しがしたいと」言い出しました。友人の間ではお互い様ということで実費以外は無償でやるのが当たり前だったのと、長年の付き合いとはいえ、女性ということで続く言葉に少し身構えていると、「アメリカに行きたいんでしょ?」と意表をつく質問。内心ホッとしながら「行きたいよ」と私。すると「アメリカ往復ぐらいのマイレージが貯まっているから使って」と、まったく予想すらしていなかったオファーでした。通常であれば厳しい台所事情から躊躇したところですが、その前の月に思わぬ臨時収入があり、その時点で「行く」ということだけを決めていたので、有り難くオファーを受けることにしました。すると、私が彼女のPCのHDを換装している横で、彼女は私のMacBookを使って航空会社のページに行き「期間は?」と聞いてくるではないですか。「行く」ということ以外は何も考えていなかったので、思い付きで「GW明けぐらいかな」と言ったところ「それだと帰りが夏休み中の運賃が高い時期になるから、もう少し後にずらせない?」とのこと。特に具体的な予定もないので「いいよ」と返事すると「6月11日は?」と来たので二つ返事で「OK」と私。その時点では6月の予定など何もなかったので、いつでも良かったのです。かくしてHDの換装が済む前に出発日が決まったのでした。行くとしたら向こうでの起点は学生時代に3年半過ごした第二の故郷とも呼べるシアトルに決めていたので、こちらもすんなり決まりました。 日程の最初と最後がこれで決まったわけですが、この時点では中身はまったくの白紙です。向こうでの移動手段を車にするか飛行機にするかで行ける範囲も大きく違ってきます。2012年のナッシュビル訪問で、国内線でも空港の出入りが70年代とは比べ物にならないほど面倒になっていたことを知っていたので、できれば車にしたいとのことで、まずは、向こうで免許を取得できる可能性を探ってみました。取れるかもしれないという州はありましたが、取れなかったら悲惨なことになります。そこで、近所の教習所に行ったところ、春休みと重なっていたため、普通に受講していたのでは取得は7月になるとのこと。そこで、取りあえず免許のことは一旦忘れて、向こうで会えそうな人達がいないかをメール、YouTube、Facebookを活用して手当たり次第打診しました。「一宿一飯のお礼は演奏」という一見無謀な申し出にも関わらず、続々と「うちに来い!」という有り難い返事が来ました。これは、もう車しかないということで、短期合宿なども含めて色々と探しましたが、日程などが合わず難儀しているところに中高の後輩で以前教習所の教官をしていたM氏から「ギターのマシンヘッドについて聞きたいのですが」との電話がありました。この時点ですでにGW直前だったこともあり、ダメ元で6月11日の出国前までに免許を取得できないか相談したところ、彼の後輩が教官をやっているという綱島にある教習所で最短19日で取れるコースを組んでくれて、早速次の日から通うことになりました。若い頃にアメリカでの運転経験こそあれ、日本ではハンドルを握ったのも数えるほどだったので、ほぼゼロからのスタートとなりましたが、目的が明確な時は火事場の馬鹿力満開で、最後の二俣川での本番を含めた6つの試験をすべて一発でクリアし、免許を取得したその足で国際免許を申請して取得してきました。試験と名のつくものは中学の入試以来だったのでまったく自信がありませんでしたが、その先の目的がはっきりしていれば案外できるものなんですね。ただ、この19日間で臨時収入の半分近くが出て行ってしまったのは痛かったです。これは、向こうでのMCネタにするしかありません。 家の前まで行ける車という移動手段が使えるようになったことで、先方から日にちを指定されている場所から確定していき、間を埋める形で出発直前まで行程の調整を続けました。 マイレージを使わせてくれたU氏が来たのが数年振りで、免許取得を可能にしてくれたM氏から電話を貰ったのも初めてでした。自分の中で「動く」と覚悟を決めたことで、周りをも引き寄せたような不思議な感覚でしたが、本番はこれからです。 *文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。 |
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はじめに
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