北米ギター放浪記 番外編 2014年8月12日〜9月9日 ミネアポリスで放浪の旅そのものはめでたく終わったわけですが、帰国するまでの約1ヶ月も走行距離だけ見れば、それまでの2ヶ月に負けず劣らずでした。唯一異なるのは、それまでは、毎回「次はどんな人達と出会うのだろうか?」というワクワクした気持ちと不安が入り混じった状態で移動していたのが、ここから先は、この旅ですでに出会っている人や、以前からの知り合いに会うことを目的に巡ったという点です。 まずは、ニュージャージー州フィリップスバーグで起こった奇跡の出会いで大盛り上がりしていたコロラド州バーザウドを目指しました。1ヶ月半ほど前に1泊しただけなのに、気分はまるで旧友に会いに行くかのようでした。のべ3日かけて到着したバーザウドはすでに懐かしさすら漂っていました。チャック宅近くのホールで無料ライブを行ったり、病状が優れないためにそのライブに来れないというチャックの友人ジャック氏の家へお邪魔して演奏したりと、結局1週間近く滞在させてもらいました。 ここでも、また新たな出会がありました。ある日お邪魔したガーデンパーティーで演奏していたバンドのドラマーがアジア系の女性で、顔付から中国、韓国、台湾、日本のいずれか、つまり東アジア系であることは判断できました。気にはなりながらも、特に話すでもなく何気なくステージの近くにいったらベースの方が話し掛けてきました。この方も女性なのですが、お尻を客席に向けてウッドベースを弾くかなりユニークな方でした。その会話の中で私の名前がベースの後ろにいたドラマーにも聞こえたのでしょう。「私○●です!」と日本語で話し掛けてきました。インディアナでのコンテスト前夜のパブで高槻から来た方と出会った時と同じ「こんなところに日本人」のリアル版です。テキサス州オースティン在住で、バークリー音楽院を出ているとのこと。 後日談:このドラマーのM氏、この「放浪記」執筆中の2016年4月末に来日され、横浜でのライブで再会を果たしました。 また、本編の終点となったミネアポリスでお世話になったギタリストのダコタ・デーブ・ハル氏がワークショップでデンバーまで来たので、デンバー市内で見つけたという美味しいコーヒー店で再会しました。 後日談:ダコタ氏とは、2015年1月末にマレーシアのクアラルンプールでも遭遇し、その際「お前とはどこで会っても驚かない」と言われたので、そっくりそのままお返ししました。 続いて再訪したのはカリフォルニア州レドンドビーチでした。二ヶ月前に演奏したコーヒーハウスで再び演奏したり、この地でお世話になったT氏の奥さんが経営する美容室で散髪してもらったり、近所のスーパー銭湯に通ったりして長旅の疲れを落としたのでした。日本で知り合ったオーストラリア人の友人がロサンゼルスの少し南東にいたので、その方にも会ってきました。 シアトルへ帰る途中では、行きに寄り損ねたサンフランシスコを経由し、サクラメントから内陸のルートを通って東側のアイダホ州からワシントン州に入りました。1973年に初めてアメリカを訪れた時に二週間ホームステイしたのが、ワシントン州南東角(シアトルとは対角になる)に近いパメロイという町でした。有り難いことに、この町で出会った人の多くは今でも当時のことを覚えていてくれました。人口2,000人たらずの小さな田舎町に突然100名以上の日本の高校生が来たことは、町の歴史上最大のイベントだったのかもしれません。途中、昔からの音楽仲間K氏との再会も果たしました。 シアトルに戻ってからは、留学中に住んでいたアパートやよく通った町に行って思い出に耽ったり、国境を越えてカナダのブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーに行き、日本で知り合った方や中高の同級生などにも会ってきました。アメリカに戻る際に国境で引っ掛かり、「帰りの切符を1日早めないとオーバーステイになる」と注意されるハプニングもありましたが、最初に見つけたレストエリアで航空会社に連絡し、予定より2日前の便に変更してもらうことで難なくクリアしました。 また、シアトルでお世話になった中高のI先輩のお母さんが入っている施設で演奏もさせてもらいました。それまで元気だった方達が次々に寝入って行く様は、まるで催眠術のようでした。I氏を見て「息子にそっくりだねぇ」とお茶目なお母さんでした。 借りた時点で走行距離2,000マイルだったのが、返す時は一桁増えて20,000になっていました。つまり、18,000マイル(約28,000キロ)走ったことになります。幸い、一度も不調になったり接触等のトラブルもなくきたのですが、返す前日に後ろからコツんと当てられました。相手がたまたま車の整備工だったので、彼のガレージに行って修復してもらいましたが、当てられた時は「よりによってこのタイミングで」と思わず笑ってしまいました。 こうして、無事帰国と相成りました。各地でお世話になった方々、レストエリアや駐車場などでばったり出会った方々、出発前の準備でお世話になった方々、資金の足しにとカンパしてくれた方々、英語への壁を取り除いてくれた母校、私にギターを始めさせた両親、60〜70年代に素晴らしい音楽で私の青春時代を彩ってくれたアーティスト達、還暦近くになっても五体満足でいること、すべてにただただ感謝するのみです。おかげで真に贅沢な旅をすることができました。 備考:写真管理ソフトの反乱で写真の日付がバラバラになってしまい、かなりの写真が消えてしまいました。上の写真は、かろうじて残っていたものを合成したものです。 2016年5月11日 *文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。 |
目 次 |
はじめに
|