北米ギター放浪記

シアトル

2014年6月11日〜14日

1977年4月から1980年12月までの3年半を過ごした街です。アラスカとハワイを除けば、北西角に位置しているということもあり、ここを今回の旅における現地の起点とするのに迷いはありませんでした。私がいた頃のシアトルはMicrosoftもスターバックスもなく、マリナーズも弱小球団でした。日本での知名度も今ひとつで「どこそれ?」とよく言われたものです。ワシントン州と言うと分かったような素振りは見せるのですが、悔しいので「DCじゃなくてACの方だよ」と加えても多くの方は納得されていました。

車は、車中泊もできるようにと中型車を探し、KIAという韓国車を借りることになりました。3ヶ月という長期なので、最初は中古車を購入して帰国前に売るという方法も考えましたが、壊れた時に大変だとの忠告を受けて即座に却下しました。街中だったらまだしも、荒野のど真ん中でエンストでもされたらたまりません。実際、若い頃乗っていたアメ車はよく故障していました。

シアトルでの運転は、1992年に翻訳の仕事でサンタモニカに半年滞在した時に寄って以来だったので、とても楽しみにしていたのですが、車の数が当時とは比較にならないほど増えていて、どこに行っても車だらけでした。この部分だけを見れば、まるで映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー Part2」を観ているような感覚にすらなりました。70年代は朝晩の通勤/帰宅時にダウンタウン周辺が少し混む程度で、事故でもなければノロノロ進むことなどありませんでした。

連絡手段が無料Wi-Fi+iPod touchだけでは不便なので、型落ちのiPhoneと$45で一ヶ月間通話とデータ通信ができるカードを購入しました。今のところiPhoneユーザだったのはこの時が最初で最後です。これが思わぬ威力を発揮したのがナビゲーションでした。最初はマイルとかフィートでは距離感が掴めなかったのですが、メートル式に設定を変更してからはまさに「必須」のアイテムとなりました。

15日の出発までは短大時代の友人J氏の家でお世話になり、出発前日には彼女が話をつけておいてくれたDusty Strings Co.という楽器屋で演奏もしました。車移動ということでAER Compact 60/2も持参していたのですが(搭乗時に$100の超過料金を取られました)、この時はギターとDIボックスを繋ぐ専用ケーブルを彼女の家に忘れてしまったため、録音用に持っていたRODE NT4マイクを繋いだKORG MR-2のヘッドフォンジャックからの音をAERに繋いでやり過ごしましたが、演奏後に店員さんから「音が良かった」と言われ、何かあってもこの組み合わせで行けることが確認できました。

15日は昼にオレゴン州のポートランドでD氏とランチをする予定でした。昔の感覚では8時過ぎに出れば大丈夫なはずですが、どこで詰まるか分からないので朝6時の出発となりました。幸いこの日は日曜日だったので通勤ラッシュもなく、途中デニーズで朝飯を取る余裕もありました。西海岸を縦断するフリーウェイI-5を使った南下は過去に何度か経験していたので、風景から忘れていた記憶を呼び起こしながら制限速度遵守で旅はのんびりと始まりました。

*文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。

「出国まで」Supporter's Area「カリフォルニアへ」

目 次

はじめに
出国まで
シアトル
カリフォルニアへ
休息日
サニーベール
LAへ
レドンドビーチ
ツーソンへ
アルバカーキ
コロラドへ (奇跡の旅の始まり)
バーザウド
デンバー
オクラホマシティーへ
オクラホマシティー 2 days
テキサスへ
サンアントニオ
ジョージタウン
ダラス
ヒューストン 2 days
ベントン
ナッシュビル (CAAS)
ロスウェル
タンパ 2 days
マイアミ
オーランド 2 days
マートルビーチ
チャペルヒル 3 days
キングスポート
インディアナへ
インディアナ州フィンガースタイルコンテスト
スタテンアイランドへ
マンハッタン
フィリップスバーグ
ナザレス(マーチン工場)
マサチューセッツへ(奇跡の完結)
メシュエン
モントリオールへ
バッファローへ
メドヴィル前乗り
メドヴィル幽霊ホテル
デトロイト
シカゴ
ミネアポリス
番外編
番外編#2「2008年欧州ツアー/出発まで」
チェコ1
チェコ2
ロンドン
リバプール
チェシャム
ドイツへ
レムゴ
インゴルシュタッド
ブレゲンズ
イタリアへ
フィレンツェ
最後のライブ
帰国