北米ギター放浪記

ジョージタウン

2014年7月1日〜2日

3時前にジョージタウンに到着し、この日お世話になるD氏の家の近所のスタバで1時間ほど翻訳してから、D氏宅に向かいました。家の前に車を停めると、中からD氏と思われる方が出てきて「ヒロシか?」と。この旅では最初の出会いはこのパターンが一番多かったように思います。先方への負担を最小限に抑えるという意味では、軍資金の半分近くを費やして免許を取った甲斐があったというものです。

荷物をトランクから出して部屋に運び入れてから、その晩演奏するという部屋までギターとアンプを担いで移動しました。途中にあったキッチンのカウンターやテーブルにはおびただしい量の料理がところ狭しと置いてあり、ご家族やご近所さんらしき人達でごった返していました。一瞬曜日の感覚が麻痺しましたが、数日前にオクラホマシティーで教会に行ったということは、この日が平日であることだけは間違いありません。思わず「今日は何かあるんですか?」と尋ねたところ「お前が来たからだ」とのこと。

よく事情がのみ込めないまま、狭い廊下を通り抜けると、一段下がった場所に大きめの部屋があり、既に数人がビールを飲んでいました。喫煙はこっちでと裏庭に出ると、バイクが数台置いてありました。再び部屋に戻りD氏以外は誰が誰だか分からないままアンプやマイクをセットし、音出しをした時点でパーティーの始まりです。いきなりリクエストの嵐で「弾けるものは弾くが、弾けないものは弾かない」とお断りした上でほぼすべてに応えたのでした。ところで、さっきの料理の量からして相当な数の人達がいるはずなのに、部屋に常時いるのは10名ほどだけで、裏庭に通じるドアからひっきりなしに人が出入りしています。1時間ほどしていったん演奏を止めてそのドアから出てみると、20名ほどがビールを片手に談笑していて、中にはすでに出来上がっている人もいました。

私も一服させてもらい、それを消すや否やD氏の「みんな、ヒロシの演奏を聴くぞ」という号令のもとぞろぞろと部屋の中に入っていきました。果たして私はさっきの料理にありつけるのかと思いつつも、私が戻らなくてはD氏の顔が立ちません。再び部屋に戻り深夜まで弾き続けたのでした。しかし、酔っ払いの群れが黙って聴いているわけがありません。ひっきりなしにD氏の「シーっ!」が聞こえてきたのが何とも微笑ましかったです。

そろそろ皆さん明日に備えて帰り始めた頃合いで私も再び裏庭に出て、そこでさらに数時間ワイルドな宴が続き、私も食事にありつけたのでした。奥さんも結構飲んでいたようで「滅多にしない掃除をした」と愚痴り始めました。何でも、D氏が私が来るのを心待ちにしていたので、その彼のために私の泊まる部屋を掃除してやったとのこと。確かに、私の部屋だけは妙に片付いていました。口は悪いけど表情は笑顔で
奥さんのD氏への愛情がひしひしと伝わってきました。ちなみにD氏は救急ヘリのパイロットをしているそうです。客人がすべて帰ったのは2時を過ぎていたと思います。このような喧騒の後では翻訳どころではありません。私も唯一掃除された部屋ですぐに寝入ったのでした。

翌朝、仕事に出掛けるD氏に合わせて私も次の目的地であるダラスを目指したのでした。少なくともここまでの中では一番盛り上がった晩でしたが、もしこんなのが毎日続いたら身体が持ちません。

*文中に登場する人物は、本人の確認が取れるまではイニシャル表記にしてあります。

「サンアントニオ」Supporter's Area「ダラス」

目 次

はじめに
出国まで
シアトル
カリフォルニアへ
休息日
サニーベール
LAへ
レドンドビーチ
ツーソンへ
アルバカーキ
コロラドへ (奇跡の旅の始まり)
バーザウド
デンバー
オクラホマシティーへ
オクラホマシティー 2 days
テキサスへ
サンアントニオ
ジョージタウン
ダラス
ヒューストン 2 days
ベントン
ナッシュビル (CAAS)
ロスウェル
タンパ 2 days
マイアミ
オーランド 2 days
マートルビーチ
チャペルヒル 3 days
キングスポート
インディアナへ
インディアナ州フィンガースタイルコンテスト
スタテンアイランドへ
マンハッタン
フィリップスバーグ
ナザレス(マーチン工場)
マサチューセッツへ(奇跡の完結)
メシュエン
モントリオールへ
バッファローへ
メドヴィル前乗り
メドヴィル幽霊ホテル
デトロイト
シカゴ
ミネアポリス
番外編
番外編#2「2008年欧州ツアー/出発まで」
チェコ1
チェコ2
ロンドン
リバプール
チェシャム
ドイツへ
レムゴ
インゴルシュタッド
ブレゲンズ
イタリアへ
フィレンツェ
最後のライブ
帰国